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宇太水分神社の歴史

関連資料

当時の日本

第十代崇神天皇7年2月
(古事記の注釈によると紀元前90年ごろ)
崇神天皇の勅命により祀られたと伝えられている。大和朝廷が飛鳥に置かれたころ、大和の国の東西南北(宇太、葛城、吉野、都祁)に水分神社が祀られた。
推古天皇19年(西暦610年) 推古天皇が菟田野に薬狩りをされた際、薬の井で身を清められたとされる。 十七条憲法 西暦604年
平城京遷都 西暦710年
大同元年(西暦806年) 神封一戸が奉られる。 『新抄格勅符抄』 平安京遷都 西暦794年 
延長5年(西暦927年) 大和四水分が大社に列せられ、祈年祭、新嘗祭、月次祭の案上官幣に預かる。 『延喜式神名帳』
平安時代末期(年代不詳) 源頼朝、幼少時に当社に詣でて、大将軍になれるかどうかを占うために、杉を植えさせたとされる。
元応2年(西暦1320年) 本殿の三棟が建設される。(現 国宝) 棟木銘により判明 鎌倉幕府(西暦1192年-1334年)
室町時代(年代不詳) 春日社と興福寺の荘園であった縁で、摂社春日神社が春日社より勘請されて祀られる。室町時代中期に摂社(境内社)の春日神社の社殿が建造される。(現重要文化財) 室町幕府(西暦1338年−1573年)
室町時代末期(年代不詳) 摂社(境内社)の宗像神社の社殿が建造される。(現重要文化財)
永正15年(西暦1517年) 一の大鳥居が大洪水のため流失する。
永禄元年(西暦1558年)4月 郡司により、第二殿の大規模な修理が行われ、これ以降、各社殿の上部に彩色が施された。 江戸幕府(西暦1603年−1867年)
延宝2年(西暦1674年)8月 奉行織田伊豆守家老により修理が行われた。
永禄元年(西暦1714年)正月
宝暦12年(西暦1762年)6月
文政2年(西暦1822年)
文政5年(西暦1825年)
社殿の修理が行われたことが確認されている。
明治元年(西暦1868年)
明治44年(西暦1911年)4月17日 特別保護建造物指定(内務省告示)。 大正元年(西暦1912年)
大正10年(西暦1921年)2月から7月 社殿の修理が行われる。
大正11年(西暦1912年)5月19日 伏見宮文秀女王により御榊、黒松の植樹を賜る。 昭和元年(西暦1926年)
昭和29年(西暦1954年)3月20日 本殿の三棟が国宝、摂社(春日神社、宗像神社)は重要文化財の指定を受ける(文化財保護法) 終戦 昭和20年(西暦1945年)
昭和30年(西暦1955年)5月12日 高松宮殿下が御参拝。玉串料、銀杏の植樹を賜る。
昭和35年(西暦1960年) 造営が行われる。
昭和47年(西暦1972年)9月 台風のため、欅(けやき)の大木が倒壊し、それにより、宗像神社社殿(重要文化財)が半壊、神楽殿が全壊した。
昭和48年(西暦1973年) 前年に台風の被害を受けた宗像神社社殿の復元、および神楽殿に代わる拝殿の建設が完了。造営奉祝祭を行う。
昭和59年(西暦1984年) 一の大鳥居(永和15年の洪水で流された)が再建される。 平成元年(西暦1989年)
平成15年(西暦2003年) 平成の大造営竣工。本殿保存修理、拝殿屋根葺き替え、社務所新築などを実施。4月に奉祝祭を行う。
平成16年(西暦2004年) 彩色の復原が完成。