例大祭
由来
みくまり祭の歴史は古く、起源は平安時代の『水分宮由来集』までさかのぼります。
上芳野(芳野川の上流)に位置する惣社水分神社の女神様である速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)様が、夫君である宇太水分神社(地図◎)の男神様、速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)様に年に一度だけ、お会いになるため、六キロの道のりをお神輿にて渡御されるというロマンチックなお祭です。
この神輿渡御は、伊勢湾台風以降中断されておりましたが、平成2(1990)年、ふるさと創生事業により、惣社水分神社の神輿(重要文化財)のレプリカを作成し、神輿渡御を復活いたしました。
日程は本来、『水分宮由来集』に基づき十月二十一日となっていましたが、より多くの方にご参詣いただけるよう、平成11(1999)年より、10月の第三日曜日に挙行いたしております。
昼ごろには、神輿渡御行列に先立ち、六基の勇壮な太鼓台が、乗児の子どもたちの叩く太鼓の音とともに、境内に集まります。
神輿渡御行列は大名行列の形をとり、挟箱、槍振、花笠などが神輿を先導します。
宇太水分神社の神職と氏子は、芳野と宇太の中間地点にある東郷(地図?)まで女神様をお迎えに行き、そこで秘撰(ひせん;特別なお供え)として、粟(あわ)、口紅、おしろいを、女神様のお神輿にお供えします。女神様は、そこでお化粧をなさるそうです。
行程
宇太水分神社内での行程
午前七時過ぎ、乗り児(太鼓の叩き手を務める児童)を乗せた宮本(宇太水分神社の地元である古市場地区)の太鼓台が、境内を出発します。
 写真A-1 宮本太鼓台の幕
午前10時、来賓をお迎えして祭典を厳粛に斎行します。普段は閉めている中門を開け、第一殿と第三殿に神饌を供し、宮司が第二殿前で祝詞を奏上し玉串を奉ります。
昼前には子供神輿が、正午過ぎには太鼓台六基(宮本、松井、岩崎、宇賀志、佐倉、芳野)が、神輿行列を先導する形で境内に勇壮に繰り込みます。(天候、その他の事情により到着時刻は変動します)
これらの太鼓台はそれぞれ重さ約2トン、担ぎ手は百数十人というものです。太鼓台は互いに競い合うように、境内を所狭しと練りまわります。
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神輿渡御行列の行程
 惣社水分神社<
惣社水分神社には、南北朝時代の作で重要文化財に指定されている鳳輦神輿が保管されています。ただし例祭には毀損のおそれがあるためレプリカを使用します)を中心にした総勢百名の行列が、惣社水分神社を出発します。
行列には、毛槍、花傘、先箱、宝箱などが含まれ、江戸時代の大名行列の形式をとっています。
午前9時 鳥居垣内で槍振を、観音寺前で祭典を行います。
午前10時前に山野口(地図2)で祭典を行います。
午前11時ごろ、東郷の勝林寺前(地図3)で宇太水分神社側からの迎え(神職、氏子代表、郷社氏子代表)と合流して祭典を行います。
宇太水分神社の男神様からの秘撰(特別なおそなえ)である粟(あわ)と化粧品を惣社水分神社の女神様のお神輿にささげます。女の神様はここでお化粧をなさるそうです。
その後槍振を行います。
12時ごろ 松井の天神社前(地図4)で祭典と槍振を行います。
午後1時前ごろに古市場の地蔵の辻前(地図5)で槍振りを行い、午後2時に宇太水分神社(地図◎)へ到着予定です。
太鼓台・神輿渡御の到着
| 午後2時ごろ(天候その他により、神輿の到着時間は異なります)、惣社水分神社の氏子である芳野の太鼓台が、神輿を一ノ鳥居まで迎えに出、それに先導される形で、神輿渡御の行列が粛々と到着します。
このときは境内が熱気に包まれ、最高潮の盛り上がりとなります。
行列が完全に到着すると、女神様がお渡りになったことを告げる祭典が斎行されます。
神輿を本殿の脇にある夫婦杉の根元に奉安し、惣社水分神社及び郷社の御幣を第二殿の大床に奉り、各地区(郷)の氏神様がお集まりになったということを表します。
その後、当社宮司が本殿に向かって、惣社宮司が神輿に向かって、それぞれ同時に祝詞を奏上するというきわめて珍しい神事が行われます。

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芳野太鼓台→神輿行列→佐倉太鼓台→宇賀志太鼓台→松井太鼓台→岩崎太鼓台→宮本太鼓台の順で各地域に帰っていきます。
それぞれの太鼓台は、出発前に再び、境内を練りまわります。このときに2基や3基の太鼓台が、同時に境内を練りまわることもあり、大迫力の見ごたえです